| 相次ぐ航空会社の閉鎖−空の旅は庶民に手が届かなくなるのか? |
日本ではガソリン税が話題ですが、こちらでもとうとう1ガロン4ドルを超える今日この頃(10年前は1ガロン2ドル前後だった気がする、、)相次いでアロハ航空、そしてATA航空の破産&運行停止が発表されました。
これが実は他人事ではなかったのです。義母は3月31日に、アロハ航空のホノルル−ヒロの最終便に、義理の大叔父は4月2日にATA航空のホノルル−オークランドの最終便に乗り合わせるはめになりました。
私の主人の大叔父(ようするに主人の日系人の母方のおじいちゃんの弟、以下アンクル)は、ハワイでかの442連隊のメンバーとして、ヨーロッパ戦線に従軍した経験を持っています。この連隊は除隊してからも結束が強く、今年3月にもホノルルで同窓会が開かれました。(脱線ですが、ちなみに最近亡くなった義母の母方のおじは442連隊がドイツに駐在中に、現地の当時16歳の少女と知り合い、結婚してハワイに連れ帰ってきました。)
アンクルは本来なら夫婦で参加したかったはずですが、1月におばに先立たれたので、主人の母がパートナーとして参加することになったのです。
いつものように利用するアロハ航空やATA航空で旅行の手配をしたところが、数週間後に会社自体が消えてなくなってしまうとは思いもしませんでした。
両方ともすでに2004年に連邦破産法(チャプター・イレブン)の申請をしているので、経営難ではあったのです。ATA航空の破産は、軍から請け負った業務(軍人の輸送など)がキャンセルされたことが直接の原因になったようです。(関連ニュース)カリフォルニアからハワイ島に行くには、以前はホノルル経由で行くしかなかったのが、ATAがオークランドからハワイ島のヒロに格安の直行便を出すようになって、非常に重宝していたのです。オアフ島以外に頻繁に行く旅行者にとっては、サウスウェスト航空しか選択肢がなくなり、ダイヤ、価格面でも大きな影響が出るでしょう。
アロハ航空の場合は、go!エアライン、というアリゾナ州に本拠を持つ格安航空が、地元航空会社(アロハorハワイアン)が独占していたルートに進出してきたことが大きかったようです。(関連ニュース)
どちらにしろ共通しているのは、燃料価格が急上昇していることと、価格競争が激化していることが同時に起こった、ということだと思います。それ以外の経営面での力量ももちろん試されているわけではありますが、もうひとつ考えさせられたことがあります。
それは、今後民間航空というものは、どこまで生き残れるのか、という疑問です。そもそも巨大な機体を飛ばすために大量の石油を使い続けること自体が、CO2排出量からも、資源の有限性という観点からも問題は大きいわけですが、それは置いておいても、近い将来石油価格が大幅に下がるという見通しがない以上、よほどの技術的なブレークスルーがない限り、一般人にとって空の旅自体また手の届かないものになるのでしょうか。わたしにとって、日本に里帰りすることも、両親の世代にとっての海外旅行のようなぜいたくになってしまうのでしょうか。
そんなことになったら、世界中の観光産業も大打撃を受けることになるでしょう。でも、それはとても起こりうる現実ではないか、とあらためて気づかされました。皆さんは海外旅行が気軽にできなくなることは、わたしたちにどんな影響があると思いますか?
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| サンタクルーズの二つの顔 |
今日は私の住んでいる町、サンタクルーズ(Santa Cruz)についてちょっぴり書いてみようと思います。
サンタクルーズはサンフランシスコからおよそ130km、シリコンバレー、ベイエリアと呼ばれる地域からは山を越えて車で3-40分ほど、モンテレー湾の北端の太平洋岸の町です。モンテレー湾の南端にはゴルフファンには有名なぺブルビーチや、クリント・イーストウッドが市長を務めたことで有名なカーメル市があります。サンタクルーズ郡の人口は25万人ほど、サンタクルーズ市の人口は約5万人です。
このエリアを日本にたとえると、私の頭に真っ先に浮かぶのは鎌倉です。それは東京や横浜といった大都市から適度に近く、自然が豊かで、歴史がある一方で、若い人をひきつけ続ける場所でもあるからです。サンタクルーズへの入植は1790年ごろカトリックの宣教師がミッションを開いたことに始まります。カリフォルニアの多くの町はゴールドラッシュ以降にできたことからすると、西海岸では歴史を感じさせる町です。
1849年のゴールドラッシュを契機に、サンフランシスコの町が栄えるようになると、金や鉄道でにわかに儲けた人々は、風光明媚なサンタクルーズに別荘を建てたり、小旅行をするようになります。今でもサンタクルーズには1800年代の後期に立てられた、木造2階建て、3階建ての美しいビクトリア調の家が多く残っています。窓枠と壁がカラフルなパステルカラーで塗り分けられ、周囲の緑に映えてそれは素敵です。
さて、今世紀に入ると、海岸に木製のボードウォークが建設され、家族連れが週末を過ごす観光地として、多くの観光客をひきつけるようになりました。今でもジェットコースターやフリーフォールなど乗り物は刷新されつつ、西海岸最古のボードウォークとして観光客が訪れ続けています。
サンタ・クルーズはまた、1990年までの62年間、ミス・カリフォルニア(ミス・アメリカの予選ですね)の舞台でもありました。また、戦後はハワイのデューク・カハナモクがサーフィンを紹介したことをきっかけに、北カリフォルニアのサーフィンのメッカともなりました。
70年代までのサンタ・クルーズは、観光地の華々しさはあっても、カトリックの白人の商店主や、サンフランシスコからリタイアしてきた富裕層を中心とする、かなり保守的な土地柄でした。そんなサンタクルーズが徐々に変化してきたのは、1965年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)ができてからです。
USCSのマスコットはなんと、黄色いナメクジです。大学当局側はずっと抵抗していたようですが、学生側が気に入ってしまったので、事実上の公式マスコットになってしまったそうです。どうでもいいネタですが、パルプ・フィクションでトラボルタが着ていたことで全米にも知られるようになりました。
もともと北カリフォルニアは60年代からヒッピー・ニューエイジの文化の発祥地でもあり、北にはUCバークレーがあり、南のモンテレーにはやはりニューエイジ運動のゆりかごとなったエサレン研究所がありました。当然サンタクルーズに集まった学生、サーファー、ヒッピーたちは、ベトナム戦争に反対し、保守的な町にラディカルな色を加え始めました。
ミス・カリフォルニアも「女性を容姿で選別する」としてリブの立場から大規模な反対運動が起こり、結局サンタクルーズを離れてサンディエゴで行われるようになりました。当然町の保守層はイベントが落とす大きな収入が突然なくなったことを、今でも嘆いています。
ヒッピー文化のマイナス面というか、怪しげな服装で昼間からラリっている人々がメインストリートをうろうろするようにもなりました。今でもホームレス(目にするほとんどは麻薬中毒者です)はけっこう多いのです。
私の義父はベトナム戦争に従軍し、その後ディーン・ウィッター(後にモルガン・スタンレーと合併した)証券に25年勤めた筋金入りの共和党員でした。彼は地元の「エルクス・ロッジ」という紳士クラブに加入し、3人の子供をカトリックの修道院付属の小学校に通わせました。
私の夫はそんなわけで、中学生ごろまではお行儀の良いカトリックの少年だったわけですが、学校では両親がヒッピーの子供たちがいる、つまり親からして子供のいるところでマリファナを吸ってたりしたそうです。ということで夫は近所の子供たちとあまり遊ばせてもらえなかったのだとか。
私の職場にはUCSCで環境学を専攻した卒業生(ベジタリアンでゲイ)がいたり、普段から学生がインターンとして出入りしていることもあり、また環境金融という仕事柄、この町の古い顔に接する機会は今まであまりありませんでした。
最近夫の親友のお父様が癌で亡くなったのですが、彼も義父と同じく「エルクス」のメンバーでした。彼の遺志でお葬式はエルクス・ロッジで行われたのですが、これはなんとも奇妙な体験でした。「ロッジ」という言葉だけでピンと来る人もいるかもしれませんね。フリー・メーソンも支部のことを「ロッジ」とよぶように、エルクスにも秘密結社的な匂いがあるのです。
エルクスもつい最近までは白人男性しか入会資格がなかったのです。お葬式の場に集まった100名以上の集まりで、非白人は私を入れて3人ぐらいしかいなかったように思います。式の進行役はメンバーを「ブラザー」と呼び、大きなメダルの連なった肩飾りをかけ、呪術的に文句を唱えます。別に怪しいことを言っているわけではないのですが、こうやって「俺たちは特別だ」という意識を強化してきたのか、と感じざるを得ませんでした。
有名なメンバーの中にはルーズベルト(FDR)、トルーマン、ケネディ、フォードといった大統領から、企業家、そしてさきほどふれたクリント・イーストウッドまで含まれています。公式ウェブサイトにも星条旗がひるがえり、愛国心でいっぱいです。
ふだん近所を散歩していて、"Impeach Bussh"とか”Peace is patriotic"とか、共和党員が嫌いそうなスローガンやサインを良く目にしていただけに、ちょっと強烈な経験でした。
ちなみに義父は一期目は忠実にブッシュに投票しましたが、二期目はさすがに目が覚めて(バークレー出身の妻や夫を含む子供たちに押されたのもあり)ケリーに投票しました。義父が言うにはエルクスに入ったのは、あくまで富裕層のクライアントに食い込むためで、それ以外に理由はなかった、と言っています。なんか「青年会議所」みたいですよね。ビジネスのため入会したほうが便利だ、ということで入会しても、やっぱりその集団の思想に影響を全くうけずにいるのは難しい。
サンノゼからサンタクルーズの町に帰ってくると、ハイウェイの出口で真っ先に町の最古のカトリック教会、ホーリー・クロスチャーチの尖塔が目に入ります。夫によれば、「サンタクルーズに住むものはみんな、この尖塔を見て、ああうちに帰ってきた、とほっとするんだ」そうです。
その町の反対側の海岸のウェスト・クリフにはサーフボードを抱えた青年の銅像があります。わたしにとっては、教会の尖塔と、このサーファーの銅像がサンタクルーズを象徴する二つの顔のように思えるのです。 テーマ:アメリカ合衆国 - ジャンル:政治・経済
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