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トラバありがとうございました(^_^) やっと(?)こういう形で、ブログ上で、コラボできる方ができて、嬉しいで〜す。 みーぽんさん、今後ともよろしくお願いします。 ときどきブログ拝見しています。
【2007/05/11 20:00】
URL | まさの #- [ 編集]
日本社会からの退出が下流の方(不適切な表現ですが)で起こっているのが、20,30代の方の死亡原因1位が自殺である事かもしれません。哀しい事ですが、ふとそんな事を思いました・・・
いつも興味深いエントリーありがとうございます。
【2007/05/12 10:00】
URL | nizan #3TvBKaPE [ 編集]
コメントありがとうございます 10ちゃん心さま いつも、大量な読書量と的確な批評に感心させられています。今後ともよろしくお願いいたいします。
まさのさま 最近水関係のエントリがあまりできていませんが、リンクは大歓迎です。ありがとうございます。今後もっとわたしも勉強して考察を深めたいと思っています。
nizanさま なるほど、自殺も退出のひとつのありかただとは気づきませんでした。ハーシュマンはユダヤ人ですから、「居場所がなくなれば他の国に行く」というのが基本のようなもんですが、自殺率の高い国は(旧東側ヨーロッパを除いて)同質性が高く、「他の土地に行く」というオプションを採らない保守的な民族が多いかもしれませんね。ちょっと考えてみます。
【2007/05/14 12:37】
URL | みーぽん #- [ 編集]
愚樵さんところの続き 愚樵さんのところから飛んできました。こちらで失礼します。
読ませていただきました。「社民」かどうかは、定義の仕方ですから、言葉についてはこだわりませんので。ただ、言いたいことはご理解いただけたかと思います。
少子高齢化の理由について、「格差による生活不安」「教育費がかかる」といった社会的状況に加えて、「『豊かさ』がもたらした、個人のライフスタイルの変化」もあろうかと思います。前者は政策面で改善できますが、後者は政策だけでは難しいので、おそらく「対症療法的なもの」ぐらいしか期待できないのかな、と私は思います。
政府が行いうる社会保障の現状維持は、「政府が機能するために必要な財源」の確保、すなわち、税の問題も考えなければならないかと思います。
歳入面での話をしますので、歳出面(無駄をなくす、予算編成に関しては述べませんので、ご了承ください。)
現行の社会保障制度は、「人口がピラミッド型」に作られた仕組みを基礎にし、「労働者人口が増える」ことを前提にし、『世代間扶養』の考えに沿ってのものですから、この概念自身を再考しなければならないと思います。
これを言ってかなり批判を浴びましたが、消費税をはじめとした間接税による税収は避けられないだろうと考えます。
直接税は、所得や資産に課税するものですので、近年、人が都市へ一極集中してきた世代が引退してきたわけですから、「所得も資産もない」という人が多くなるわけで、これだと直接税中心主義は、現在の勤労者世代に重くのしかかるのは必定ですし、ますますこの傾向が加速すると思われます。
直接税の累進課税制度を旧に戻す、分離課税から総合課税にして株譲渡益等への課税強化を図る、というのも行うべきだと思いますが、今後20〜30年を考えた措置としては厳しく、「財が流動する過程において、少しずつ税をかける」というラインをつくり、『世代間扶養』から『すべての人たちで分配を考える』へシフトチェンジしていくことになるんだろうと思います。
もし、話が脱線したようでしたら、お詫びいたしますが、与野党・政権政府への批判をより的確に行うためにも、こうした面からもご考慮いただければ、と願います。
【2008/04/05 23:47】
URL | わくわく44 #- [ 編集]
わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪みーぽんさんもおそらくはご存知の、チューリップの歌です。昨日深夜、チューリップの復活ライブが放映されていたのを録画して先ほど見たところです。それがこのエントリーとかぶるような気がして。
>国は企業や女性に頼り、企業は自民党に頼り、自民党は官僚に頼り、官僚は天下りで企業に頼り、女性は夫と夫の勤める会社に頼る、、、無限のぐるぐるの頼りあい、もたれあいです。
これはきっと、男のわがままを女が許しすぎたのでしょう。許さないのは罪ですが、許しすぎてしまうのもこれまた罪。許さないのは父性ですが...。
私もみーぽんさんと同じく退出組です。退出した方向は異なっていますけれども。みーぽんさんは海外に、私は田舎に。「母性の復権」などということを私が唱え、みーぽんさんがそこに同意していたいたのも、ひょっとした同じ退出組ということが関係しているのかもしれませんね。
実は私、この退出組に大いに期待をかけているのです。退出組は、どうしても自分が退出してしまったことに拘ります。退出した理由を探らなければならない、大きな動機を抱えこみます。そして、そうした理由を探る過程でさまざまなことに気がつくことになります。気がつかなければ退出した理由は探れません。退出の理由は、なかなか気がつきにくいところにある。さればこそ、退出しなければならなかった理由に拘ることにもなる。
現代は格差社会です。一部の富める者と大多数のそうでない者とへの峻別が進んでいる社会です。そして、そうでない者の一部が退出を始めています。ある者は自殺という方法を選択してしまいますが、生きて別の選択をする者もいる。そうして生き残った者たちがあるレベルを超え連帯を始めると、今度は退出した社会と別の仕組みを立ち上げようと企図するようになる。その際には当然、自分たちが退出した社会の欠点を克服する方向で考える。そうした方向性の一部が自然通貨であったりするわけです。
(こちらの記事を参考にどうぞ
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/206357b1580d916a0abd50f11f62db3e)
ただ、退出組に期待をかけるといっても、こうした流れが急激に起こることを望んでいるわけではありません。これが急激に起こると、おそらくは「革命」といった事態になるのでしょう。そうなると大きな混乱が起こり、多数の血が流されることになる。やはりこうした事態は避けたい。
願うのは、革命のようなハードランディングではなく、ソフトランディングです。ソフトランディングにおいても、退出組が考える論理は役に立つはず。そう信じるからこそ、私もブログなんてのをやってたりするのですが(笑)。
【2008/04/06 10:23】
URL | 愚樵 #- [ 編集]
ひとつだけ愚樵さんへ なかなかおもしろい考えだな、と思いながら、リンク先も含めて拝読しました。
おもしろいんですが、愚樵さんのお考えの社会を実現するときに、留意すべきは「価値の設定」ですね。
これがないと何が生じるかというと、「交換が適正に行われているか」の判断がつきにくくなり、かえって、結果的に争いの元となる、ということです。
そもそも地球は、自然条件や環境の違いによって、生産物も変わってくるわけで、人が必要とする資源を全部内需で賄えるわけではない。第一、人間自身が、自分自身が必要とする資源を自分で調達する能力を持たない小さい存在です。それを相互に補完するために「トレード」が発生するのですから、これを考えなければならないという課題ができてしまいます。
私は、今のところ、この説に賛同するまでの理解ができていないので、愚樵さんとは「反対側」の考えになると思いますが、これは「私の主観による評価」ですから、それを排して言えば、上記の点だけが懸念されるのかな、ということです。
差し出がましいようで、失礼いたしました。
【2008/04/06 11:53】
URL | わくわく44 #- [ 編集]
わくわく44様 ようこそおいでくださいました。
>少子高齢化の理由について、 −(中略)−個人のライフスタイルの変化」もあろうかと思います。
おっしゃるとおりで対症療法も必要と私は考えます。スウェーデンでは何人でも子供が3歳になるまでは母親が有給(基本給の何%だったか忘れましたが)の産休&元のポジションが補償される、とかフランスでは子供の数が増えるごとに政府からの支給金がある、とかそこまでやっています。実際にこの2カ国の少子化の傾向は底を打って上向きになっています。
>直接税中心主義は、現在の勤労者世代に重くのしかかる
直接税から間接税へ、という動きの前に、富裕層の相続税の見直しなども考えていいと思います。それがいずれは避けられないだろう、というのにも同意です。またヨーロッパの例になりますが、消費税率は高いですが、食料品などかなりのものは免税のはずです。
それ以前に、「税金はお上にもっていかれるもの」というメンタリティーから、「税を払う以上公平な使い方を要求する」という参加者のメンタリティーに変えていく必要もあると思います。
「社民かどうか」の言葉の定義は、わくわくさんが思われる以上に重要なのではないか、というのが私の感覚です。それはなぜかというと、日本には「社」のソーシャルな部分は過去文化的に強く共有されてきたのは確かですが、「民」に関しては、お上頼りで、「民衆による支配」のデモクラシーはまだ確立されていないと思うからです。
これからも前向きな議論の交換(お手柔らかに−笑)を楽しみにしています。
愚樵様 コメントありがとうございます。
>退出組は、どうしても自分が退出してしまったことに拘ります
そうか、そういわれればそうかもしれません。あんまり自分でも気づいていませんでした。
それから「参加さえできなかった」世代が私の直後にいます。「いち抜けた」組と「参加できなかった」ルサンチマンを持つ組が共感を持って連帯できるといい、これが師匠の以前おっしゃっていたことですよね。
花ブナさんのブログも以前「日本人の知らない恐るべき真実」を通してシルビオ・ゲゼルに興味を持ったときにチラと読んだ記憶があります。田中優氏や辻信一氏の本も何冊か読んだので基礎の基礎だけは一応読んだのですが。日本でも各地で実験が行われていますが、参加者の感想を聞いてみたいです。
私もソフトランディングに賛成です。(若いときはもうちょっと血の気が多かった気もしますが。)批判、対立ばかりではなく、完璧でなくても、なるべく多くの主体が参加できるやり方を考えてゆきたいと思っています。そういう意味ではやはり企業を巻き込める仕組みが必要だと思っているのです。
カリフォルニアにいると、星の数ほどのベンチャー企業が「オールタナティブ」な思想(既存の競争至上よりは母性的といえるような気がします)を取り入れつつ、ビジネスとしても成功することを目指しています。彼らの多くは大企業のシステムに参加することを良しとしなかったり、はじき出された人々です。もちろんその思想の幅も広く、大きな隔たりはあるわけですが、「より公正に、より持続的に」という思いは共通しているように思います。
ありがとうございます こちらこそ。虚偽と嘘、ごまかしは絶対に容赦しませんが、見解の相違は尊重すべきだという考えですので、よろしくおねがいします。
>「社民かどうか」の言葉の定義は、わくわくさんが思われる以上に重要なのではないか、というのが私の感覚です。それはなぜかというと、日本には「社」のソーシャルな部分は過去文化的に強く共有されてきたのは確かですが、「民」に関しては、お上頼りで、「民衆による支配」のデモクラシーはまだ確立されていないと思うからです。
私は「言葉」よりも「状態」を重んじる感覚ですから、こだわっていないというだけです。(笑)
それ以上もそれ以下もありません。もし、言葉の定義をしっかりしないと、理想的な状態にならないというのであれば、もちろん言葉の定義づけもしっかりしないといけないでしょうから、別に反論するつもりもまったくありません。(汗)
【2008/04/08 19:02】
URL | わくわく44 #- [ 編集]
ひとつだけ >それから「参加さえできなかった」世代が私の直後にいます。「いち抜けた」組と「参加できなかった」ルサンチマンを持つ組が共感を持って連帯できるといい、
はい。これは「参加できなかった」者でも「いち抜けた」はできるから、です。「参加できなかった」のは主体的に行動することが拒否されているわけですけれど、「いち抜けた」はいかなる場合でもできる主体的行動ですから、ね。
【2008/04/09 06:12】
URL | 愚樵 #- [ 編集]
初めまして 初めまして、僕もブログを運営していて今少し行き詰った状態なので今後の参考の為に記事を拝見させて頂きました。今レイアウトの事で悩んでる最中だったんですが…こうしてサイトを拝見させて頂いて大変参考になりました。ランキングの応援致しますねwもし良かったら今度僕が運営するブログにもぜひ遊びに来て下さい、よろしくお願いします。
【2008/05/13 15:05】
URL | アメリカ留学 #wLMIWoss [ 編集]
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