みーぽんBLOG from カリフォルニア
カリフォルニアから時事、政治、環境、日米比較などランダムに綴ります
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閑話休題: 京都でちょっぴり考えた
先週3泊4日で京都に観光に行って来ました。その間に天木さんが参院選出馬宣言、年金問題、忙しく仕事のキャッチアップに励む間に松岡大臣の自殺、山崎元理事の自殺、とめまぐるしく事態が動いています。大きく政治が変わりそうな予感がします。

さて、その現在からちょっと目を離して、1000年単位の歴史をはぐくむ京都に行ってきた感想&連想を忘れる前に記しておこうと思います。


1.都市計画と住所のわかりやすさ

京都では御所から順番に二条、三条、と東西に走る大通りと、南北に烏丸どおりを中心とする大通りが走り、その間の小道も東西か南北かわかるようになっています。これは西欧式と同じ。これはたいへん便利だと思うのですが、こういった中国式の都市計画が、その後の権力者による都市計画でなぜ採用されることがあまりなかったのか、非常に興味がわいてきました。

とりわけ住所表示が日本は町を番地で区画割りをして、ぐるぐる番号を振っていくのですごくわかりにくいのが普通だと思うのですが、「通りの名前を住所にする」というやり方がなぜその後採用されていないんだろうか。全国のほかの「碁盤の目」状の都市はどうなんだろうか、と思いました。

2.富の極端な蓄積が、後に残る文化や環境を産む
京都には様々な豊かな社会的資産があります。
前項であげた都市計画はもちろんのこと、世界遺産に指定されている社寺仏閣をはじめ、京友禅や扇子などの様々な手工芸、料理、祇園など、そのどれをとっても富の蓄積がなければ生まれなかっただろうと思わされました。

「後先考えずに湯水のようにお金を使える」ような富裕な人間がいたからこそ、清水寺のような目を見張る社寺などを建設したり、二条城の狩野派の襖絵やら欄間の彫刻などが生まれ、富裕層が身につける着物や小物の工芸も発達したわけでしょう。

当時の人間が300年後、500年後に観光資源になってさらなる富を生産するとは夢にも思っていなかったわけですが、思いっきりお金を使ったからこそ今でも価値がある残る文化が生まれた、、。最近ニューズウィークの表紙に格差社会を肯定するような見出しが載っていて反感を覚えたものですが、わたし自身、富裕層の周辺に成立した文化を今楽しんでいるわけで、自分の中でも解決できない思いが残りました。

3.神仏混交とグローバリズム
京都のお寺は、一般的に下界の街から、参道を登りながら、天界に近い緑豊かな境内で自然を味わいながらお参りし、上から街を見下ろすという構造になっています。これは癒しというかエンタテインメントというか、なんとも楽しい経験でした。

仏教のことをまるきり知らないのでめったなことは書けませんが、日本の神仏混交はほんとうに興味深いことだと思います。

そもそも西暦500年代に仏教が百済から渡来してから、推古天皇が即位するまでの50年間、仏教の容認派と否認派の間で血で血を洗う闘争が行われた結果、仏教が天皇家のお墨付きで導入されたけれど、天皇の「日本教」の司祭としての役割は変わらなかった、、というダブルスタンダードが、日本人が白か黒かでなくあいまいさを受け入れられることを象徴しているのでしょう。

天皇が出家して法皇になる、なんてこともあったわけで、天皇家、宮家が手に手をとって、京都の仏教文化を興隆させてきたことを思うと、まあ不思議な思いでいっぱいです。

このあいまいさの受容は、論理的でないとして様々な場面で非難されるわけですが、考えて見たら、これは日本人にとっての「グローバリズム受容」のカギであるのだと気がつきました。

考えて見たら、有史以来日本は外来文化にさらされ、拒絶し、受け入れ、相反する要素を新たな文化として昇華するということを繰り返してきたわけで、今のグローバリズムの波の中でも、必要なものは受け入れつつも、どうやっても相容れないものはこっそり吐き出したり、落っことしていったりし続けるんだろうなあと思います。

まあそもそも京都の都市計画からして、唐の長安を模したものであり、非常に「外国っぽい」街づくりであったわけです。

「今」の日本を見ていると、危機感は沢山沸いてきますが、ちょっと俯瞰的に見れば、日本の対外摩擦の歴史だって1500年以上の歴史がある、建国200年そこらの大国の「属国」に成り下がっていることは癪な事実ですが、呑み込まれて消えてしまうような国でもないはずだぞ、と感じる今日この頃なのでした。




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この記事に対するコメント
富を呼び寄せるもの
お久しぶりです。
この感興、徹底した平等主義者のみうらじゅんさんが、仏像を見て回りながら、同じように嘆いてました。(いとう・みうら共著「秘見仏記」)
その時の結論は、「京都奈良の著名な仏師のものだけでなく、地方仏も称えよう」
というところに落ち着いていました。
京都・奈良というブランドが、かなり鑑賞眼を曇らせていることもあるでしょうし。

中世仏の場合には、勧進のシステムも大きく作用していると思います。
単に経済的に豊かな人の、名声を求めての喜捨だけが原動力でなかった……むしろそういう仏は、当時から低く見られていたのでないでしょうか……例えば宇治の平等院とか、進んでみようと思いませんよね。

>3.神仏混交とグローバリズム
「日本語でロックが歌えるか」の論争ではないですが、最後は、受け入れる側の文化と融合するのが常道と私は感じています。
ただ、日本は必ずしもこの「混交」という作業をうまくできていないと思うのです。
明治初期の「廃仏毀釈」に至るまで、結局「神」と「仏」とは”習合”という枠組みの中で、
「仏本神迹」(いわゆる”本地垂迹”)と「神本仏迹」(伊勢神道などでの”反本地垂迹”)とが主導権争いが止みませんでした。また、お寺の檀家が神宮寺の神人を差別していた例も、非常に多かったですし……。

たとえばインドで起こるような(ヒンズーとイスラムからシークが生じるような)、
融和的な混交には、意識的な運動が必要なのかもしれません。
【2007/06/07 00:07】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]

デルタ様
おお、お久しぶり、ようこそです!そういえばデルタ様は磨崖仏エキスパートでしたね。

「勧進」って、カトリックが「免罪符」を売ってカテドラルを建てたようなもんですか?
確かに「自分たちのお金でお寺・御仏が建った」と思えば愛着も増すでしょうね。

「混交」というより「習合」だった、、なるほど。
ただ、混じってなくても二つの異なる信仰を、庶民の側はフツーに許容して併呑している感じはするんですよね。
だから廃仏毀釈してまでの、天皇を頂点とする国家神道は、あくまでも一神教の西洋の絶対王政とカトリシズムをまねて、まとめて実現しようとした、日本史の例外的な事件だったんだなあ、とわたしは違和感を強めてるところなんですよー。
【2007/06/07 10:35】 URL | みーぽん #- [ 編集]

免罪符と聞かれましても
今度は私の方がわからない(爆)……高校時代は日本史オンリーでした(滝汗)
勧進のときには、お札とかも配られたかもしれず、
その意味では似ているかもしれません。
>混じってなくても二つの異なる信仰を、庶民の側はフツーに許容して併呑している感じはするんですよね。
その意味では、僧侶と神官のコップの中の争いですね(苦笑)
明治政府下の異常さは、そういう少数者の思想が「日本人の当たり前な要件」とされた点にもあるでしょうね。
【2007/06/21 21:31】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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プロフィール

みーぽん

Author:みーぽん
複数の外資系秘書を経て英語通訳者に転身、2007年に夫の地元カリフォルニア州サンタクルーズに引っ越しました。
2年間こちらで環境金融の会社のアドミ&会計を担当した後、2009年からフリーで通訳・翻訳をしています。
TwitterのIDは@miepongです。



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