みーぽんBLOG from カリフォルニア
カリフォルニアから時事、政治、環境、日米比較などランダムに綴ります
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不都合な真実の原点:「地球の掟」を読む (2)
この記事は 不都合な真実の原点:「地球の掟」を読む(1)の続きです。

7章以降の説明に入る前に、前回のエントリに対し、デルタさんからコメントをいただいたので、それに対する考察からはじめたいと思います。

まず、(1)自然科学的な「正しさ」を求めることと、社会的・経済的なリスク回避とは必ずしもイコールでないこと。-中略 CO2排出規制しか対策しない(対症療法的な準備をしない)のは、私にはそもそも怖ろしいのですについて。

一番大事な点だと思いますが、現在の地球環境の問題は「CO2による温暖化」に矮小化してとらえるべきではないという点です。この点についてはゴア、わたし、デルタさんも共通していると思います。「気温が上昇している」ことはひとつの現象であって、温暖化を認めようが認めまいが、大量消費&廃棄の文明を地球のシステム(大気、生態系、水系、地表)が許容しきれなくなっているというのが環境問題の根幹でしょう。

80年代までは、単に「局部的な自然破壊、汚染」と「資源枯渇」がおもな問題だったので、92年出版の本書で「温暖化がおきつつある」と言われても人々がぴんとこなかったのも無理はありません。わたし自身が温暖化を意識しだしたのは、2000年前後でしょうか。それは毎年夏に「観測史上最高の平均気温」のニュースを聞いたからでもあり、台風やハリケーンの数や強度が増していると感じたからでもあり、またダイビングに行ったときにサンゴがどんどん石化していることを知ったからでもあります。

しかし、この問題に真剣に関心を持つようにになったのは、なによりも環境破壊による被害をもっとも被るのは、環境的に脆弱な地域に住む弱者であるということを知ったからです。現状の経済学では、年間百ドルのGDPしか生み出さないアフリカの人間が死ぬとき、経済損失は100ドル、年間5万ドル生み出していたアメリカ人がカトリーナで死ねば5万ドルという測り方になります。産業界やメディアがバングラデシュの洪水で死ぬ人がいても、アフリカの旱魃で死ぬ人がでても動かず、カトリーナで保険会社がつぶれはじめて初めて温暖化に対処する動きをみせはじめたのはそういうことです。現状の経済学の枠組みは、環境問題を対処するのに限界があるのです。あとに述べますが、その点についてもゴアは「GNP(当時は。今はGDPですね)や会計のしくみを変えよう」と主張しています。

さて、「温暖化CO2犯人説」は正しいかどうかという問題です。残念ながらみーぽんは科学を専門的に勉強したことはありません。ですからあえて少数派の科学者の説に耳を傾けるより先に、現在主流の科学者の説を学ぶことのほうが論理的と考えます。また今後も環境問題を勉強していくなかで、わたしの中に新たな知識や理解が深まるにしたがって、別の考え方をするようにならないとは断言できませんが、今はゴアやIPCCの説にあえて疑義を持つ必要性を感じないということです。

ここではっきりさせておきたいのはゴアは「CO2排出量を減らしさえすればよい」と言っているわけではないということです。ゴアは繰り返し「対症療法的にではなく、全体的に問題を捉えよう」といい、人口増加、教育、経済ルールの見直しなども主張しています。彼の提案は15章で詳述されています。ちなみに原子力発電に対しても完全否定ではないまでも、安全装置の能力と廃棄物の処理方法が確立されておらず、「依存率は低いままで推移せざるをえない、「温暖化を防ぐ最良の手段が原子力であるという言い分は間違いだ」と述べています。

CO2というのは「化石燃料を大量に燃やすライフスタイル」の排出物です。ピークオイルがインプットにフォーカスしているとすれば温暖化はアウトプットにフォーカスしているというわけです。これはコインの裏表にすぎないとわたしは思います。ゴア以前の環境運動家は「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフをやめよう」とよびかけてきましたが、それでは当然大多数のアメリカ人に受け入れられることはありませんでした。「CO2排出を減らそう」とは「大量の化石燃料に頼る生き方を変えよう」と言うより受け入れられやすいのではないでしょうか。

さて、(2)文明の死と社会の死について。マヤ文明は環境変動に弱い文化 -中略 その土地での人間の活動が完全に死滅するわけでないでしょう。
わたしは過去に個々の文明が滅びたときに、必ず何万という人間の死があったと思います。文化の死の以前に、死人が出るということを考えます。まっさきに死ぬのは、乳幼児、病人、老人、障害者、栄養状態の悪く、貧しい人々でしょう。為政者というのは警告する人間がいても、だいたい大量の人間が死なない限りは態度を変えないものです。現在の大量化石燃料消費文明をそのまま続ければ、やがて化石燃料を掘り尽くして人間は自然エネルギーに頼らざるをえなくなります。その間海面上昇、疫病、異常気象で人口が2-3割減るということになるかもしれません。それでも人類は生きのびるでしょう。しかし、さきほどものべたように、温暖化の被害が弱者に一番あらわれるものです。日本でも台風でまっさきに被害にあうのは山間部の家々や川のすぐそばの家です。社会と文明の関係をどう捉えたらよいのか、デルタさんのご質問の意図を掴みきれていないかもしれないのですが、すくなくとも今の大量消費大量廃棄型の文明は、環境に対して脆弱であり、さらに強者は生き残らせても弱者にとってダメージの大きい文化のうえになりたっていると思います。

ここからは「地球の掟」のご紹介、前回の続きです。なお、下線や強調はみーぽんの恣意的な視点によるものです。

7章:絶滅する植物種 (生物多様性の問題)
現状の農業は短期的な生産性を優先する結果、環境に大きなダメージを与えるようになった。灌漑、地下水のくみあげ、化学肥料など農業技術の進歩に伴い、土壌流出や塩分の集積といった問題もおこる。今後もマルサスのジレンマを逃れ、増加する人口に追いつく食糧供給は可能だが、それは危険な「未来を売り渡すという悪魔の取引」だという。
- 膨大な量の化学肥料と殺虫剤が地下水を汚染し続けている
- 遺伝子作物の単一作物栽培は抵抗力を弱める。継続的に野生種との交配が必要だが、その野生種がどんどん絶滅している
・バイオメジャー(モンサントなど)は農薬とその農薬に適した遺伝子変換作物(GM作物)をセットで販売しているが、GM作物に病原菌や害虫が対抗するスピードも速まり、数年で新しい品種を開発せざるをえない。

作付け品種を毎年変えれば農薬は減らせるが、企業化した農業ではそれができない。牛の成長を早めるためのホルモン剤や抗生物質の投与(抗生物質は病気予防のためでなく成長促進のためだそう)が、逆に病原菌の耐性を強めてしまう。

過度の放牧は生態系を破壊し、ソナーや小型飛行機を使った流し網による乱獲は魚種を減少させる。また温暖化により気候パターンが変化すれば、降水量の分布量の変化や害虫の北方移動などに伴い食糧生産にも影響がでる。

原因不明の理由でサンショウウオやカエルなどの両生類が世界中で姿を消しつつあるというテーマで専門家の会議が行われた。(今年になってツボカビが日本にも上陸して話題になりましたね。)

文明を過信した人間は、--- 人間も自然生態系の一部に過ぎないのに、その事実が切実に感じられず、環境を構成している様々な部分を破壊することが人類の生存に深刻な影響を及ぼすことを、なかなか理解できない。

ゴアは畜産業者を刺激しないためかはっきり書いていませんが、北米のトウモロコシや大豆の大量生産は人間のためというより、牛のエサにするためなのであり、牛のためのアルファルファなど牧草の栽培は雨のすくない中西部には本来向かないのです。欧米人が肉の消費量を日本人なみに減らせば、人間向けの食料供給は倍増できるのです。本書には書かれていませんが、マクロビオティック(玄米菜食)を北米でひろめた久司(くし)氏によればゴアもマクロビオティックの実践者で毎日味噌汁と玄米を食べているそうです。ちょっと親しみがわきませんか?

ちなみに15年たって、GM作物の利用はますます進んでいます。

90年以降農業関連企業の寡占化は進み、現在バイオメジャー六社 - バイエル(独)、シンジェンタ(スイス)、BASF(独)、ダウ(米)、モンサント(米)、デュポン(米)が農薬市場の80%をおさえ、傘下に種子会社を保有している。とくにモンサントは、GM作物の商品開発では他社を圧倒している。世界全体で栽培されているGM作物品種のうち、モンサントが開発した組み換え遺伝子が導入されているものが、他社の組み換え遺伝子との重複分も含め、大豆で93%、トウモロコシで92%、綿花で71%、菜種で44%を占めるとみられる


(新日本出版社 「経済」2007年5月号より)

8章:ゴミ捨て場 (廃棄物の処理、リサイクルしない文明)
ゴミ処理は単に地域的な問題でない。ゴミに対する根本的な考え方が大量のゴミを作り出した。処理する方法だけでなく、生産活動を根底から変え、ゴミそのものの量を劇的に減少させるべきだ。

ゴミの中には科学的な有害廃棄物、重金属、医学上の病原菌を含む廃棄物、さらにもっとも危険な核廃棄物などがある。こうした廃棄物の処理場は、都市住民の目から離れた、少数民族の住む貧しい地区に集中していたり、また船に積んだゴミが海外に投棄されることもある。

ゴミ処理場のゴミの半分は紙製品、2割5分は生ゴミ、1割はプラスチック製品である。コーンスターチを使った有機分解プラスチックもあるが、10年たってもコーンの芯は自然には分解されないことを考えるとこれだけがプラスチック使用の問題は解決しない。ゴミの処理場ではゴミが分解される過程で大量のメタンガスが発生する。メタンは有害な温室効果ガスの一つである。

ゴミの問題は、大量生産、大量消費の文明の中で、人間とはどういう存在になっているのかを映し出している。われわれは使い捨て商品と同じように、人間すら使い捨てできるかのように考えてはいないだろうか。伝統的な知恵がすたれて行ったり、個人を尊重する気持ちが失われたり、ホームレスの親が子供の面倒を見切れずに捨てるという問題にもつながっている。
---
日本でリサイクルに対する意識が高まってきたことは良いことですが、逆に「どうせリサイクルするのだから」ペットボトルの生産量が増えていることには、すでに批判が出ていますよね。みーぽんも麦茶作ってマイボトルです。

ここでもゴミ処理場の有害物質にさらされるのは弱者であることをゴアは指摘していますが高知の東洋町の核廃棄物処理場の一件は記憶に新しいところです。わたしの夫が教えてくれましたが、アメリカではようするにインディアンの居留地にゴミ捨て場があって、そこでガンの発生率が以上に高かったりするそうです。最近ようやく廃棄物業者を相手取って集団訴訟が起こされるようになっているそうです。

人間が「市場価値があるかどうか」で測られるようになり、障害者や老人への援助が減り、「取替え可能」なリソースは「派遣や請負」でいいという傾向は日本でもおきていますが、これとゴミの問題が同根というは興味深い視点だと思いました。

15章までありますが、今日はここまで。さらに次回以降に続きます。
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テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
しばらくぶりの訪問です(^^;
みーぽんさん

とてもわかりやすくよくまとめられていますね。思いを巡らせるいい材料になります。
ご自身の考えの部分にもうなずけることばかりです。

続きがUPされるのを楽しみにしています。(^-^)
【2007/07/12 22:26】 URL | ペンギン #- [ 編集]

ペンギンさん
ようこそおいでくださいました。おほめの言葉にあずかって恐縮です。
ペンギンさんも毎日貴重な情報をアップしておられてすごいです。
とくに「それでも生きる子供たちへ」はわたしもぜひ見てみたいと思いました。
これからもよろしくお願いいたします。
【2007/07/13 21:25】 URL | みーぽん #- [ 編集]


「市場原理主義」が一般に誤解されやすい面なのでしょうけど……
あらゆる人が、「こっちが儲かりそうだ~」といって一方向に殺到するという現象は、実は「市場」ではほとんど起きないはずなのです。普通過当競争を怖れて、同じ方向へ行かない人が一定割合かならずいるからです。
なのに実際にはその「殺到」が起きます、……それは「政策」や法律による後ろ盾があるからでないでしょうか。オカミが「このビジネスは損しません」とお膳立てしてくれるから(あるいは、許認可権をつかって一方向へ誘導するのに逆らえないから)でないでしょうか。……「今なら絶対損しません」とかいってETFを勧めていたのも、某政治家でしたよね(苦笑)
結局マヤ文明も、国中にこの種のトウモロコシをここに植えなさい、と定めたから生活様式が硬直化し、環境の変動に対応できなかったのが真相でないかと思います。

しかも。
環境変化とともにそんな「バブル」が崩壊する時に、何が起きるか……散々見てきましたよね、私たちの年代は(爆)
強者が法律や政策を誘導することで、弱者へ損害を押しつけようとするのです。
単に市場原理を徹底しているだけの場合よりも、
法律で守っている分その「権益」は強固になってしまいます。

それを不道徳と非難するのは、確かに「良識的」です。
けれど、絶対的弱者というのは人数の上でも極端な少数派です。民主主義の枠組みの中ではその声はくみ取れえないのです、現実として……。
私自身、大企業の労働組合の職場委員をやったりしてましたが、不本意ながら非正規雇用の人たちへしわ寄せすることへ、労働組合として「消極的に賛成する」のを止められませんでした……基本的に弱者の味方であるはずの労働組合でさえ(涙)

セン教授が言われていた「飢餓の原因」は、たとえ民主政権であっても運用次第で多くの場合出現するのでないでしょうか?

多くの場合、歴史上、飢餓はそのようにして起こっている、と私は事態を整理しています。(私が知っているのは中世以降の日本史だけですが)
>温暖化の被害が弱者に一番あらわれるものです。
というのは、その現れの一端だと思うのです。

あと
>「CO2排出を減らそう」とは「大量の化石燃料に頼る生き方を変えよう」と言うより受け入れられやすいのではないでしょうか。
これは誤解を生むように思うのです。
たとえばCO2の収支を考えると、樹木は一定以上の年齢になると「出す量の方が多くなります」とすると、若木を残して老木を切れ、という結論にたどり着きかねない、それでは不合理ですよね(日本の林野庁は、この方向に議論を誘導したがっています)

あるいは、ガソリン車より電気自動車・燃料電池車の方がCO2を出さないから優れている、というトンチンカンな方に議論が行く原因にもなっています(二次電池にエネルギーを貯めるのに結局は石油が必要なのに!)
指標としてはやはり厳格に、「製品の生産・運用・維持・廃棄に使う炭化水素燃料の総量」に絞り込まないと。
【2007/07/19 01:17】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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プロフィール

みーぽん

Author:みーぽん
複数の外資系秘書を経て英語通訳者に転身、2007年に夫の地元カリフォルニア州サンタクルーズに引っ越しました。
2年間こちらで環境金融の会社のアドミ&会計を担当した後、2009年からフリーで通訳・翻訳をしています。
TwitterのIDは@miepongです。



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