みーぽんBLOG from カリフォルニア
カリフォルニアから時事、政治、環境、日米比較などランダムに綴ります
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不都合な真実の原点:「地球の掟」を読む (3)
この記事は、不都合な真実の原点:「地球の掟」を読む (2)の続きです。

ここからはみーぽん個人にとって、もっともわくわくする9、10章をご紹介します。

9章自治の力 では政治、とくに環境民主主義における自治の原則の重要性、さらにアメリカの役割について、10章エコノミックス(生態経済学)においては既存の経済学、経済指標の限界、さらに環境対策の企業活動にとってのメリットについてが述べられています。
9章:自治の力 
メディアパワーと政治の変質 テレビの時代は政治を表面的でわかりやすいものだけを扱うようになったが、政治においてもっとも本質的な事柄は、皆が余り考えたくない難しい選択、ばら色の公約のかげで隠され、放置され、延期され、そして無視されている問題である。大衆の思想を操作する新たなテクニックの大きな力が選挙を支配しているが、結局有権者もみせかけの政治に飽き飽きし、政治不信におちいっている。

軍事力や経済力だけで道徳的権威がなければ世界に対するアメリカのリーダーシップは弱まる。国民は環境対策の必要性を認めつつも、自分の負担が増える化石燃料への増税には反対する。国民を説得する真のリーダーシップ- 戦後のヨーロッパ復興のためのマーシャルプランがそうであったように- が必要である。

ブッシュ(父)政権環境政策に後ろ向き。ベーカー国務長官は石油会社の株主として温暖化の問題に関るのは「利害の衝突」になるとして、環境政策に関るのをやめてしまった。政権は温暖化を矮小化するように、報道機関やNASAの科学者に圧力をかけ続けている。環境面での指導力の不在は同盟国の英国にも批判されている。

ヒットラーがユダヤ人迫害をはじめた当時、世界の指導者は見てみぬふりをしたが、現在は環境的ホロコーストの兆候がすでに見えている。破局がおきてから対処するのでなく、今からビジョンをもって変革をなしとげるべきだ。

また、環境の悪化がとくに旧社会主義諸国に見られるように、自由で民主的な政治制度が環境を守る条件である。草の根レベルの人間が、自分の生活に影響する決定に反対意見を言うことが、事実上奪われているとこではどこでも、そういう人々と環境とがしいたげられている。また東南アジアの熱帯雨林の伐採に見られるように、腐敗した政治も環境の破壊を容認する。

自分には影響力などない、と思う無力感は自治の原則への脅威だ。しかし民主的な政府を実現するために、政治制度をもっと信頼しうるものに変えなければならない。

環境保護のためには自由と民主政治が必要だということには大賛成です。北欧、中欧で環境政策が進んでいるのは、民主主義の成熟度のあらわれとも思えます。また、どうしても、今の自分の経済的な負担だけにフォーカスしがちな国民にたいしては、指導者のリーダーシップが必要なのは言うまでもありません。日本の政治家の環境政策はどう評価するべきでしょうか。

ゴアはパパ・ブッシュ政権を批判して、経済的・軍事的にリーダーシップを発揮しても環境面で指導力を発揮しなければアメリカのリーダーシップは弱まる、といいますが、まさにジュニアの時代になってその政策は増幅され、アメリカの存在感は弱まってしまいましたね。ここでもゴアの先見の明を感じます。


10章 エコノミックス(生態経済学

共産主義の崩壊で資本主義が世界に広がりつつある今こそ、資本主義経済の欠点をも明らかにし、改善していく義務がある。資本主義においては市場で売り買いされないものの価値はないものとされてしまう。既存の経済理論においても公害や自然破壊をもたらす経済的選択について総合的に取り扱われたことはなかった。

GNPを計算するさいにどれほど自然資源が使われても減価償却はされない。たとえば、工業生産に要する機械や設備は減価償却されるが、アイオワ州の表土が不適切な農法によって流出しても、その損失は穀物生産の過程の経済的コストの損失としては計上されない。途上国でも世銀やIMFは援助の際、どれほど経済効果をもたらすか算出するに当たり、熱帯雨林の伐採による木材の売り上げが経済効果に組み入れられても、熱帯雨林そのものの消滅は記録されない。結果として、GNPは環境の無計画な急速な破壊をよいこととして扱うことにつながってしまう。

古典的経済学は売り買いする双方に「完全情報」があることを前提とするが、そんなことはありえない。いまは自然資源は無限の「無料商品」と仮定されており、公害や廃棄物といった副産物の負のコストは計算に入れられない。また汚染の処理という経費も帳簿のプラスにカウントされる。つまり公害を作り出せば出すほど、GNPの増大には貢献する

現在の経済理論はわれわれの選択の悪い面を「外部要因」として扱うことが合理的だとしているが、物事を複雑にする都合の悪い事実を除外してしまう恣意的な定義を使うのは、実に不誠実なやり方である。環境的な外的要因を計算しないことは一種の経済的傲慢さであり、その結果は凄まじいものになる。実際に生産性の計算方法を変えるよう主張提案する経済学者もいる。自然の恵みのすべてに値段をつけることはできないが、すくなくとも生産性の計算方法を変え、公害の経済的影響を組み入れるだけでも、真の価値の評価に近づく。

いまの経済分析は、現在の環境の負荷はもちろん、未来の世代も排除されている。87年にはブルントラント委員会で「世代間の平等、持続可能な開発」が提唱された。世銀など金融機関の投資が、短期的な現金収入のために自然破壊を促したことへの反省のあらわれである。

温暖化対策に対する出費額ばかりが大きく見積もられるが、温暖化対策によって得られる利益、たとえば水不足が防げれば、その対策のための出費をしなくてすむといった点は十分見積もられていない。何の対策も生じなかった場合の出費も考えるべきだ。

優秀な企業は環境対策のために費用を投じて生産工程を見直せば、原材料を節約し、効率の改善、さらに収益増につながることに気付いている。今の補助金は再生品でなく新品に与えられる構造だが、それを変えれば、企業活動におけるリサイクルの比率も高まるだろう。
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この章は、まさにみーぽんにとって一番興味がある部分だったので、うんうんうなずきながら読みました。今は「GNP」でなく「GDP」になりましたが、環境の負のコストが考慮されないのは15年たってもほとんど変わりませんよね。だいたい、「GDPあたりのCO2排出量」なんていう尺度はナンセンスです。生産高そのものに「汚染する行為」も「浄化する」行為も加算され、プラスマイナスは相殺されないわけですから。

ただ、企業の努力は大いに進んでいると思いますし、CO2排出が市場に組み入れられるようになった、ということは「汚染する負の行為に値段をつける」ということですから、それは大いなる進歩でしょう。ただ経済学の流れが完全に変わり、GDPなどの尺度が変わるまで、経済学界にはまだまだおおきな働きをしていただけなければなりませんね。


今日はここまで。11章以降は次回に続きます。
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プロフィール

みーぽん

Author:みーぽん
複数の外資系秘書を経て英語通訳者に転身、2007年に夫の地元カリフォルニア州サンタクルーズに引っ越しました。
2年間こちらで環境金融の会社のアドミ&会計を担当した後、2009年からフリーで通訳・翻訳をしています。
TwitterのIDは@miepongです。



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