民族の「形成」について お久しぶりです。
東欧諸国が独立して以降、民族とは何なのか、私にはよくわからなくなってきています。
確かに文化は共有しているかもしれない、が、だったら「政治」は文化に含まれる、と当然視していいのかというのが1点目、文化の差異はどこまでも細分化可能で、おまけに同じ人でも振れ幅があるという状況下で、何を持って文化が同じというのか、が二点目。とりわけ2点目は、東欧の例えば旧チェコスロバキアが、次々に細分化されていくのを見て、「民族」の分け方というのが、かなり恣意的に出来うる、と不信感を持ち出した訳です。
パキスタンの例も、私には興味深いです。
けれど一方で彼等部族間でも、「インド的な」社会として特徴づけられますし、自身もその意識があるのでないかと思います(とりわけ、パンジャブ地方だと)
広く「インドの民」(ヨーロッパ人、の意識に近いものでしょう)という自意識があるところに、
「宗教」を加えることで、「われらパキスタン」との意識つくろうとしたけれど、広めることができずに、力づくになっている、というのが実情かなと想像します。
>アメリカ人に「日中韓」を混同した発言をされると
全然関係ないところで、同じような現象を見たことがあります。
一昨年かな?東証がシステムダウンしたときに、なんの関係もない香港とソウルでも株価が急落したものです。
遠くからは、同じに見えるのでしょうね、
近くにいるから、違っていると気付けるだけで。
【2008/02/06 00:58】
URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]
デルタ様 「民族とは何か」を語りだしたら、確かにこれ、という定義はないでしょうね。多少差異のある民族の寄せ集めでも、カリスマのあるリーダー、外敵の存在、良好な国家経営などを通して、「統合された意識」を醸成することは可能ですからね。アメリカの大統領選もそのためのイベントでしょう。
パキスタンの場合は、むしろ「インド的」というよりは、「パンジャブ人」「バロチスタン人」「カシミール人」というような意識の方が強いのでは、と私は感じるのですが。
「インドの民」というくくりをもっていたのは、多分に大英帝国の側ではないでしょうか。そこに他宗教に寛容なガンジーが乗ったというか。
アメリカのコインに「多様性の中の一致」(E PLURIBUS UNUM)と彫ってあるんですよ。それを考え続けています。
【2008/02/07 02:57】
URL | みーぽん #- [ 編集]
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